正式採用まで(1982〜1984)
その1 PC-8801(NEC)

まず、1年目は、何かバイトせなあかんなと思い、探していたところ、三宮でパソコン教室の新設に伴う講師の募集を見つけ、応募すると採用が決まりました。(11月〜翌年2月)

当時のパソコンは、まだまだ仕事の道具としては役不足で、家庭での高価なゲーム機&おもちゃとしての認識が強かったです。しかし、売り文句はプログラムを組むことによって何でも可能になるでした。

使用できるアプリケーションもほとんど無い状態ですので、乱立したパソコン教室は現在のようなアプリケーション操作が主体のものではなく、いかにBASIC言語をマスターして、プログラムを作るかを教えるものでした。

もちろん、一般の人にとってプログラムというのはあまりにも敷居が高く、パソコンは買ったにもかかわらず、そのままほこりをかぶったままになった家庭も多かったようです。

さて、私が採用されたパソコン教室の機械構成は、生徒機は FM-7(FUJITU) 20台(記憶装置はカセットレコーダー)、教師機は PC-8801(NEC) 1台(記憶装置は、カセットレコーダー)でした。採用された四人の講師の役割は、まず『初めてのBASIC』ということで授業で使うためのテキスト作りからでした。テキストは四人で協力して完成したのですが、残念ながらこの教室の経営は失敗で営業が生徒を確保することができずに終わってしまいました。

しかし、私の方は、出勤している間は、PC-8801が自由に使えたので、N88-BASICについて特にグラフィック(640x200)について知識を深めることができました。

そうそう、この時のテキスト作りで活躍したのが、コンピュータ教室に一台だけあったワープロ(はっきり覚えていないのですが、確かリコー製だったような)です。この当時は、まだ、熟語変換が精一杯だったような気がします。でも、はっきりと覚えているのは、左手と右手のワンキーずつで一つの漢字を指定して入力していく方法があったことです。この方法の特徴は、同音漢字から選択する時間を無くし、どんどんと漢字を指定して入力していき、覚えている人にとっては手で漢字を書くのと同じスピードでできることです。

-終-